桜の郷・Witzenhausen

つい先日まで、Göttingen(ゲッティンゲン)に咲く桜が日本人である私の心を癒してくれましたが、もっとすごい場所がある、という話をまだ寒い冬の間に友人から聞いていました。
「私の実家があるのよ。桜が咲いたら連れて行ってあげるわ。」という彼女の約束どおり、5月の初めにその街・Witzenhausen(ヴィッツェンハウゼン)へ行くことになりました。

Witzenhausen
Witzenhausenゲッティンゲンから約30km南下した所にあるヴィッツェンハウゼンは、桜というよりもサクランボが売りの街です。毎年サクランボの収穫期(6〜7月頃)には『Kesperkirmes』(ケスパーキルメス。Kesper はこの地方の方言でサクランボ(標準語ではKirsche:キルシェ)、Kirmes はお祭りの意)という収穫祭が開催され、Kirschenkönigin(キルシェンケーニギン:桜姫)コンテストもあります。

街の規模はゲッティンゲンよりもさらに小さいのですが、凝った造りの木組みの家がたくさん並んでいて、正直なところゲッティンゲンよりも可愛らしい、という印象です。
ただし人口は減少傾向にあるようです。市庁舎近くにある美しくて大きな家の前へ来たとき、
「これは私の友達が住んでいた家だけど、もう誰もいないの。売り出し中だけど、高くて買い手がつかないのよ。」
Witzenhausenと、友人が話し始めました。
街にある美しい木組みの家の中には、空き家同然のものも結構あるようです。こんな風に人が使わないことで、美しくて味のある家が朽ちていってしまうのかと思うと、残念な気持ちになりました。

しかしこの街の人口は、昔は今よりもさらにずっと少なかったそうです。ところが第二次世界大戦後、すぐ近くを走っていた東ドイツとの境界線を越えて来た人や他国からの移民で、間もなく人口はかつての三倍になった、と彼女は説明してくれました。

ヴィッツェンハウゼンには大学もありますが、その割には若者も少なく、街は何だかひっそりとしています。
「みんな Kassel(カッセル。ヘッセン州の街)へ行っちゃうのよ。この街では手に入らない品物や仕事を求めてね。」
彼女の説明によると、本来ならヴィッツェンハウゼンからはカッセルよりもゲッティンゲンのほうが近いのですが、第二次世界大戦後にヴィッツェンハウゼンと同じアメリカ領だったカッセルのほうが住民にとっては親しみがあるから、なんだそうです。ドイツが占領されていた歴史が、現代にまで影響しているのですね。
Witzenhausenちなみにゲッティンゲンはイギリス領だったので、アメリカ領だったヴィッツェンハウゼンとの間には境界線がありました。

街を抜けて丘を登って行くと、ありました! たくさんの桜、というよりもサクランボ畑が。
整列したこんなにたくさんの桜の木を、私はこれまで見たことがありません。辺りにはこのような畑がたくさんあり、満開はわずかに過ぎていましたが、まさに桜の郷です。

Witzenhausen
Witzenhausen木は、実を収穫するために低く剪定されています。『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿』なんていうことわざが日本にはありますが、ここではガンガン切っています(笑)
これだけ桜の木があったら日本人はお花見し放題だなあ、と桜の木の下によい気分になった人々を想像してみましたが、こじんまりとした木々が整列しているせいか、その場面はどうもしっくりときません。
丘の彼方を眺めてみると、あちら側にも桜の木が整列している畑が見えました。

サクランボ畑の間を縫う道がオリエンテーリングコースのようになっていて、各ポイントにクイズや豆知識などが掲示されていました。コースの終盤には、桜の木を利用した秘密基地もありましたよ。桜の木でツリーハウスとは、日本人にはない発想ですね。

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ヴィッツェンハウゼンのサクランボはゲッティンゲンでも買うことができるそうですが、ぜひ祭りに合わせてここへ来て、桜姫を愛でながらサクランボをたらふく食べてみたいと思いました。

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