昔はすごかった、Lübeck

St. Marien前々回の記事でご紹介した街・Travemünde(トラフェミュンデ)から電車で30分ほど行ったところに、トラフェミュンデよりももっと有名な観光地・Lübeck(リューベック)があります。この街は世界遺産にもなっていて、歴史ある美しい建物がたくさん建っています。(写真は、バッハもオルガンの音を聴きに来たという、聖マリエン教会。)

リューベックといえば、何といっても外せないのはハンザ都市であったということ。
17世紀半ばまで、バルト海沿岸を中心とする交易を支配していたのがハンザ同盟です。これは貿易ネットワークのようなもので、加入都市はドイツ国内だけでなく、周辺の国々へも広がりました。中でもリューベックは、ハンザ同盟の中心都市として栄華を極めたのだそうです。

Salzspeicher und Holstentor
Rathausハンザ都市間で交易を行っていた品物の中には、バルト海で獲れるニシンを塩漬けにしたものもありました。現代のように急速冷凍などできなかった当時、塩漬けにすることで長期保存ができるようにしていたのでしょう。そのため、魚だけでなく塩も多くの需要がありました。上写真は、リューベックに今も残る塩の貯蔵庫の建物です。
実は我が街 Göttingen(ゲッティンゲン)もハンザ都市だったことがあるのですが、それは恐らくゲッティンゲンで塩が採れるためじゃないかと勝手に想像していますが、真相はわかりません。

ところで、ドイツには16の州がありますが、ベルリン、ハンブルク、ブレーメンの三つは大都市がそのまま州としても機能しているものです。
その中のハンブルクとブレーメンは、リューベックと同様にハンザ都市としても大変栄えた街ですが、今でも当時と変わらずしっかりとその存在感をアピールしているように感じます。
それに比べて、リューベックはどうでしょう。かつてはバルト海の覇者だったのに、今では Schleswig-Holstein(シュレースヴィヒ=ホルシュタイン)州にちんまりと収まっちゃっています。

Rathaus
Wickede-Stiftところが行ってみてわかりました。やっぱりリューベックはすごかったんだと。
リューベックの観光名所として有名な Holstentor(ホルステン門 。二番目の写真右端)や市庁舎(三番目の写真と上写真)を始めとして、旧市街地に並ぶ家々を見ても、この街が当時どれほどの経済力を持っていたのかがわかります。 何百年も前にお金をかけて建てられた建物に時間の流れが加わり、素晴らしい趣があります。

Füchtings Hofそんな街並の中に、救貧院・Wickede-Stift(ヴィッケデ・スティフト。左上写真の左側)の建物がありました。
1397年に創設。リューベックがハンザ同盟の中心都市として乗りに乗っていた時期です。豊かな街だったからこそ、福祉の面にまで目が向けられたのでしょう。そう考えると、当時どれだけ景気がよかったのかが想像できます。この建物は、1974年からは学生寮として使われているそうです。

その向かいには、1639年に建てられた船員や商人の未亡人のための住居・Füchtings Hof(フュヒティングス・ホフ)があります。ハンザ同盟はほぼ終わりかけの時期に建てられたもので、経済的には厳しくなりつつあった頃だと思うのですが、豊かだった時代に培われた精神は受け継がれたということでしょうか。

Rathaus街を散歩するだけでも楽しいのですが、市庁舎の見学ツアーにも参加してみました。
どうもドイツ語のツアーしかないようで、内容盛りだくさんであろう解説はあまりわかりませんでした。それでも、市庁舎入口の黒光りするレンガを始めとして、見学する価値は十分あったと思います。

街の素晴らしさの他にぜひ記しておきたいのは、レストランで飲んだ蟹のスープが感動ものだったこと。
ドイツで初めて口にした甲殻類の出汁……オレンジ色のポタージュのようなもので、シンプル過ぎて写真すら撮り忘れましたが、その美味しかったこと! ドイツ料理に飽きたら、ドイツの北端まで来ると、日本人の心にグッと響く味に出会えるかもしれません。

昔はすごかった、Lübeck」への2件のフィードバック

  1. m’amour

    第二次大戦中、ドイツの多くの都市もひどい空襲に遭いました。なかでもドレスデンは4日間にわたって英米軍機の爆撃を受け、落とされた爆弾の量は東京大空襲のそれを上回る規模だったそうです。リューベックのMarienkircheへ行くと、空襲(1942年)で焼け落ちた鐘が当時のまま割れた状態で保存されています。その教会のなかでは、現在の美しい街の風景写真と一緒に、空襲を受けているリューベックの街や破壊された教会の内部の写真を絵はがきにして売っています。戦争ほど愚かで無惨なものはないです。幼稚園の頃、東京で空襲を経験していますので、空襲さえなければこの世は天国! リューベックと聞いて、ちょっとそんなことを思いました。

    返信
    1. masblo 投稿作成者

      m’amourさん、コメントをありがとうございます!
      リューベックのMarienkirche(聖マリエン教会)は私も訪れ、空襲で焼け落ちた鐘も見ました。空襲で燃え盛る教会の写真も展示されていたと思います。
      戦争は、本当に愚かな行為ですよね。m’amourさんのように経験できていなかったとしても、誰でもわかることだと思いますが、なぜ繰り返されるのでしょう。
      現在争いが起きている国からは、毎日多くの避難民がドイツへ逃れて来ています。彼らから話を聞くにつれ、他人の人生を奪ってめちゃくちゃにする権利は誰にもないはずだ、とつくづく感じます。

      返信

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