Göttingen の日本

現在私が住んでいる街・Göttingen(ゲッティンゲン)の新市庁舎は、Hiroshimaplatz(広島プラッツ)という場所に建っています。恐らく広島に原子爆弾が投下されたこと、そしてその恐ろしさを忘れない、という思いからそう名付けられたのでしょう。Nagasakiplatz(長崎プラッツ)という場所も作ろうという動きもあるようです。

Hiroshimaplatz
この場所へ来ると、なんと皮肉なことかという思いが頭をよぎります。
なぜならこの広島プラッツには、Fukushima-Gedenkstein(福島追悼碑、右下写真。『FUKUSHIMA 2011…NICHT VERGESSEN(忘れない)』と記されている)も置かれているからです。第二次世界大戦で原子爆弾によって被曝した日本とその国民は、今度は東日本大震災で自ら被曝しました。そのことがこの場所には示されているからです。Fukushima-Gedenkstein

東日本大震災が起きたとき私は日本に住んでいて、大惨事を目の当たりにしました。ボランティア活動を通して被災地の惨状を見、様々な話も聞きました。
一方、地震によって原子力発電所が崩壊し、想定外の事故も起きました。しかし私は起こったことを責めることよりも、まずそれを教訓として活かすことがこれからを生きる日本国民の最大の使命だろうと思いました。

ところが2015年8月11日に、日本の原子力発電所は再稼働されました。昨年、運転の差し止めを命じられた大飯原発に引き続き、二箇所目です。
ドイツはチェルノブイリとフクシマに学び、原子力による発電は廃止の方向へ向かっています。もちろんそれによる弊害もあるでしょうし、代替エネルギーをどうするかに知恵を絞らなければなりません。節電も必要となるでしょう。
しかしそれを乗り越えてでも、日本は原発に頼らない方法を見つけ出さなければならないはずです。なぜなら、地震大国である日本は原発に頼ることができないからです。原発の周りにどれだけ高い防波堤を築いても、どんなに高い検査基準をクリアしたとしても、地震や津波という巨大な力にかかったら何もかも意味がありません。そんなことは日本で暮らして来た国民、ましてや福島の原発事故を目の当たりにさせられた国民が一番よく知っているはずです。

Nuclear power plant
そもそも、原子力発電によってできた放射性廃棄物は処理ができないのです。そのようなゴミの片付け方すらわかっていないものを、利用してよい訳がありません。
日本人であれば、子どもの頃から「遊んだら片付けなさい」と言われて育ったはずです。昨年のサッカーワールドカップでも、日本人のサポーターが観戦後にゴミをきちんと収集したことが話題になりました。最後にはきちんと片付けるのが当たり前というのは、日本人の美徳でもあったはずです。

放射性廃棄物が無害になるには10万年、あるいは100万年かかると推定されています。そのような果てしなく先の世代にまで危険なツケを回し続けなければならないものを利用するという選択肢が、どうして存在するのでしょうか。私はツケを回される側にも回す側にもなりたくはありません。

今回再稼働された川内(せんだい)原発から50km程しか離れていない桜島は、噴火警戒レベル4になりました。
『日本』はこれからもずっと続いていきます。どうか今一瞬だけのつまらない意地や欲望に流されるのではなく、同じ日本国民として素直に考えていただきたい。停止するのは今からでも決して遅くはないのです。
日本から遠く離れたゲッティンゲンの広島プラッツに、『Sendaiを忘れない』さらに『Japanを忘れない』などという石碑も並ぶような事態になる前に、日本はフクシマに学び、賢い決断をして欲しい、またそうできる国であって欲しいと切に願っています。

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