スウェーデンの赤い家の謎

夏も終わりかけの9月の初めに、久しぶりにスウェーデンを訪れました。
2012年から2013年にかけて、私はスウェーデンの南端にあるMalmö(マルメ)に住んでいましたが、そのときにお世話になった友人達に再会するためです。

Swedish farmers hause
といっても今回主に滞在していたのは、マルメではなくスウェーデン中部の田舎町。
ストックホルムから車で2、3時間程の場所ですが、辺りには農地が広がり、民家はちらほらと点在するだけ。それらの民家は、ほとんど全て赤く塗装された木造住宅です。

Swedish old hauses
これ、スウェーデンと聞いて多くの人がイメージするもののひとつじゃないでしょうか。
以前住んでいたスコーネ(マルメのある県)では、白い土壁風の農家も多かったのですが、今回滞在した地域にあったのは圧倒的に赤い木造家屋で、いくらでも目にすることができました。

Swedish old hauseマルメに住んでいた頃に、どうもそのような赤い家が典型的なスウェーデンの農家らしい、ということはわかっていました。でも、どうして揃いも揃って『赤』なのでしょう。
以前から気にはなっていたのですが、今回友人に話を聞くことができました。
「あの塗料は、スウェーデンの鉱山で鉱石を精錬する際に出る残りかすを再利用したものなのよ。今でもそれを作っている会社が Falun(ファルン)という街にあるはず。」

調べてみると、確かにありました。
Falu Rödfärg (ファル・ロードフェーリ)というのがその会社。スウェーデンの赤い家は、ここの塗料で塗られていたのですね。
Swedish old church当社のウェブサイトに、赤い塗料について詳しく書かれていました。

ファルンには、Stora Kopparberget(ストラ鉱山)があります。ここはなんと850年創業。
1573年にその鉱山へ、スウェーデン王のヨハン三世から一通の手紙が届きました。「お城の全ての屋根を『錆びた鉛』あるいは『鉱山の屑(原文は “mine bran”)』を使って赤くしたい」と。
でも、そんなのは王様だから言えたこと。17世紀に入っても、家を塗るなんて限られた人だけができた行為でした。
当時赤い塗料は、自然界にある酸化鉄から作られていたため高価で、赤く塗られた木造家屋は富の象徴でした。微妙に赤茶けたこの色は、元はヨーロッパ大陸のレンガ造りの家をお手本にしたものなんだそうです。

1764年、ストラ鉱山の周りに赤い塗料を人工的に製造する工場ができました。
Swedish farmers hausしかし、最初からうまくいった訳ではなかったようです。様々な試行錯誤を経た結果、現在に至る、精錬工程の廃棄物を再利用して赤い塗料を作る方法が開発されたのでした。

そのような中で時代は移り変わり、18世紀には特権階級だけでなく鉱山の持ち主や裕福な農家、司祭の家が、19世紀には一般的な農家や市民の家も赤く塗られるようになったそうです。

塗料の原材料を生み出してきた鉱山は1992年に閉山し、千年以上の歴史に幕を下ろしました。
しかし『原材料はまだ山とあるので、あと100年以上は塗料を作り続けられる』とファル・ロードフェーリは記しています。

Swedish farmers hausスウェーデンの方々の独特で素敵な美的感覚は、きっと『青い空と白い雪の積もった森をバックに建つ、赤い壁と白い窓枠の家(友人によると、壁が赤く塗られ始めた当初の窓枠は白くなかったはず、とのこと)』という風景が身近にある環境の中で、無意識のうちに培われたものなんじゃないかと私は想像していました。
そう考えると、ストラ鉱山で採掘が始まった時点で、既にスウェーデンの国民的美的感覚は約束されていた、とも言えるのかもしれません。

(最初の写真以外は、スウェーデンにある屋外博物館で撮影したもの。左写真は、昔の方法に則って、すり下ろしたジャガイモからでんぷんを精製しているところです。)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>